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またブログを書こうかな

4月8日に母の目が見えなくなってから、5ヶ月以上が過ぎた。

そのときから、朝昼晩の食事の世話、身の回りの事、などなど母の介護が始まった。

母は、ボクの家から歩いて3分のところに1人で暮らしている。

東京で1人暮らしをしていたのだが、目が不自由になったので、去年の4月にこちらに来てもらったのである。

母との同居がはじまる

ボクの仕事は、養蜂業。

4月から8月は採蜜時期なので、1年で一番忙しいのだ。

よりによって1年で一番忙しいときに介護が始まってしまった。トホホ。

だから、いままでのように、畑仕事、サーフィン、ブログを書く時間を確保するのは難しくなってしまった。

何かを犠牲にしなければ、母を介護する時間を物理的に確保できない。

ということで、母の目が見えるようになって、また自活できるまでは畑仕事、ブログを書くのを止めたのだ。

でも、サーフィンは止められない。
サーフィンを止めたら、ボクが精神的に参ってしまうかもしれない。

8月に目の手術をする

そして、8月に左目の手術をした。

日本で手術実績一番という、横浜にある深作眼科で手術をした。

地元の総合病院に通院していたのだが、セカンドオピニオンで深作眼科に行った結果、手術をお願いすることにしたのだ。

2泊3日の手術・入院を終えて、帰宅。

それから手術後10日間ほどは、食事・トイレ以外は、目の状態を安定させるために1日中ずっとうつ伏せでいなければならなかった。
誰かが母の世話をしなくてはならない。

弟が会社を休んで来てくれた。

近くに弟の別荘があるので、そこに寝泊まりして日中は母の世話をしてくれたのだ。
助かった。

ボクは、夏の採蜜時期に重なっていたので忙しく、弟が来てくれたのはホントに有り難かった。

目が少しずつ見えるようになる

そして、手術が成功したのであろうか、少しづつ、少しづつ、薄皮をはぐように母の目が見えるようになってきた。
手術後、「目が見えるようになるだろうか」母自身も、まわりの皆もずっと心配だったので、とりあえずはひと安心。

そして、なんとか、自分でごはんの支度ができるまで回復した。

あー、長かった、5ヶ月間。

最初の3ヶ月間は、朝、昼、晩と食事を作りに行き、一緒にご飯を食べて過ごした。

6月のひと月間は妻が具合が悪くなり寝込みがちだったので、母の介護、自宅の家事、子供の世話、犬の朝夕の散歩・餌やり、それに仕事で、目が回るほど忙しかった。

よく乗り切ったなー。
自分をほめてあげたい。

でもそんな忙しいときでも、時間を作ってはサーフィンはした。
サーフィンしてストレス発散しなかったら、精神的におかしくなったかもしれない。

海のそばに住んでいて、良かった。

その後、食事作りのヘルパーさんが週に2回来てくれるようになって、少し楽になった。

 

いまは、生きているかどうか生存確認に行くだけで良くなったので、楽だ。笑

時間に余裕が出来たので、これからまた少しずつブログ書こうかな。

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